決戦、山海関─昭顕世子の見た入関
所定の目的は達成しましたが、折角なので続けて山海関の戦いのあたりを訳していきます。と言うわけで、山海関の戦いの当日です。 二十二日 己卯 晴風 (中略)○平明、清兵進迫關門五里許、煙塵下、炮聲大發、俄而吳三桂、率諸將十數員・甲軍數百騎、出城迎降。九王受拜禮於陣中、進兵城下數里許、下馬而坐。漢人・清人、頻數往來、清兵左右陣、一時馳入關門、竪白旗於城上然後、九王繼之入關。...
View Article決戦、山海関─《明季北略》吳三桂請兵始末より─
と、ここで昭顕世子一行の山海関から北京までの行程を追う前にドルゴンが余裕綽々で李自成を迎え撃ったとする根拠となったと思われる記事をちょっと見てみましょう。 度々出している《明季北略》からです。...
View Article順治元年、北京までの道─昭顕世子の見た入関
さて、折角なので改めて昭顕世子の見た入関、山海関⇒北京の行程を見てみましょう。今回も主に《昭顕瀋陽日記》の付録、〈西行日記〉を読んでいきます。 二十四日 辛巳 晴風 (中略)○卯時、行軍四十里、至深河驛、止宿。 4/24、晴、風あり。朝方(卯時)出発して40里行軍して深河駅(河北省秦皇岛市抚宁区深河乡)に到着して宿営した。...
View Article順治元年、清朝北京に入る─昭顕世子の見た北京1
時間が空きましたが、《昭顕瀋陽日記》の続きです。いよいよ清軍とともに北京に入城した朝鮮世子・昭顕世子一行がどのような生活を送っていたのか見ていきましょう。 初三日 甲寅 晴...
View Article順治元年、清朝北京に入る─昭顕世子の見た北京2
と言うわけで、前回に続いて朝鮮世子・昭顕世子日記の北京滞在部分です。今回は後半部分ですね。 十二日 己亥 晴 世子留北京。○講院・藥房問安。答曰、平安。○八王・十王、追流賊、不及而還。 5月12日。晴。世子は北京に滞在。講院、薬房がお加減を確認したところ、問題ないとの仰せだった。八王=アジゲと十王=ドドが流賊=李自成を追跡したが、追いつかずに帰還した。...
View Article昭顕世子は瀋陽を目指す
時間が空きましたが、昭顕世子の日記の続きです。この辺は他に裏の取りようがないので、《朝鮮王朝実録》や《清世祖実録》も確認せずにダラダラ読んでいきます。一部前回と重複しますが、北京から瀋陽までの行程を見ていきます。 二十四日 辛亥 晴...
View Article明末チベット僧のインテリジェンス活動~袁崇煥と王喇嘛、李喇嘛~
清朝のチベット仏教政策を調べていたら、清初…というか明末に対モンゴル、対マンジュ交渉…というか諜報活動で活躍した二人のチベット僧が出てきたので、とりあえず纏めておきます。縦横家のように舌先三寸でモンゴル諸部をマンジュから離反させた王喇嘛と、袁崇煥とホンタイジとの和平交渉を担った李喇嘛の事績が中心です。 ■王喇嘛(ワン・ラマ Wang-lama)...
View Article延禧攻略の小ネタ(宮訓圖十二幀と遮陰侯)
と言うわけで、ゆるゆると《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を見ています。まだまだ序盤なので話は進んでいないんですが、見ていて割と気になるネタがちらほらあるので、メモを。...
View Article延禧攻略の小ネタ2(オシャン収賄事件)
と言うわけで、《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」》を引き続きツラツラ見ているのですが、第7集~第8集でオシャン(鄂善 Ošani)収賄事件が出てきます。まぁ…調べると実録にもこの事件は出てくるんですね。...
View Article延禧攻略の小ネタ3(茘枝、清朝と犬)
と言うわけで、またツラツラと《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を見ています。11集~12集あたりでは献上品の茘枝が出てきたんでちょっと調べてみました。 そもそも、茘枝って文献上どれくらいから記述あるのかと思ったら《華陽國志》の巻3蜀志の僰道縣の項iに記述があるんですね。《華陽國志》の編纂が東晋...
View Articleキタイ皇帝の尊号メモ
と言うわけで、個人的にキタイの歴代皇帝の尊号を纏めておきます。 ただ、キタイの皇帝…の自称はハンなので、キタイ語ではなんだか違う名称がある様な気もしますね…(何故か耶律大石だけグル・ハンという尊号が残ってるのも謎)。キタイ文字が読めればもうちょっと違うんだと思いますが、ご教授頂いたところではi漢号とキタイ号はあまりリンクしていなかったようなんですよねぇ。 諱字小字廟号諡号尊号即位上尊号備考...
View Article延禧攻略の小ネタ4 吃肉分福と怡僖親王・弘暁
と言うわけで、またツラツラと《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を見ています。今回は14~15集当たりに出てくる福分けの肉=吃肉分福の話を纏めました。 坤寧宮で行われるマンジュの儀式で臣下に賜与される茹で豚肉自体は、一般向けの書籍でも紹介されているので割と有名です。まずは入江陽子『紫禁城─清朝の歴史を歩く』岩波新書 にこうあります。...
View Article延禧攻略の小ネタ5 御花園の皇族
と言うわけで《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を相変わらずツラツラと見ています。今回は23集に出てきた乾隆年間の皇族を纏めておこうかと。 で、まずはこのドラマのキ-マンである和親王・弘昼ですね。五阿哥と言われるからには雍正帝のすぐ下の弟でずいぶん親しかったようですね。...
View Article延禧攻略の小ネタ6 孝賢純皇后
と言うわけで《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を相変わらずツラツラと見ています。今回は以前調べたことの追加…と、漢語版Wikipediaで皇后フチャ氏のモデルである孝賢純皇后の項とか魏瓔珞のモデルである魏佳氏の項目を見てたら、あの挿話も元ネタあるのかよ…というのが何個かあったので、纏めました。...
View Article黄馬掛その2
先日、珍しく過去に書いた記事黄馬掛にコメントをいただきました。 馬掛けの下の着ている裾の長い衣服は片方に継ぎ目がある使用なのでしょうか?? うん?継ぎ目?なんだろそれ…とコメントだけ読んでも全く理解出来ませんで、とりあえず当該記事の当該画像を確認して見ました。 《李鴻章克復蘇州戦図・李鴻章像》(部分)i...
View Article清朝初期のチベット僧たち:1
気がつくと一年以上放置してましたね…。と言うわけで、コロナでバタバタしてたら静岡から東京に居を移すことになって更にバタバタしてました。記事を書くほどに暇が出来たわけではないのですが、お蔵入りしていた記事を引っ張り出してきました。 と言うわけでこの記事は、池尻陽子『清朝前期のチベット仏教政策』汲古書院...
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